模範解答は

どのくらいとか言ってたらダメ! 全力でぶつかり合わないといけない。

そもそも「どのくらい」とか自分で力の入れ具合を加減しているようではダメ。

が採用試験や先輩先生が望む答えだろう。生徒からしてもそうだろう。この先生全力でぶつかってこないな、ある程度で手を抜いているなと考えた時点で生徒指導は成り立たない。

 

 たしかにそうだ。

 だけど、公務員(先生)は全体(クラス全員)の奉仕者でもある。 誰か一人に力を注ぎすぎるとそれはそれで不公平だ。さらに、先生も人間なので体力・時間に限界がある。どうすれば全体に一番いい効果が現れるかを考えないといけない。 

 

そもそもこのテーマについて書こうと思ったきっかけが、このブログにこのままのキーワードで検索流入してくれた人がいるからだ。自分もいわゆる困難校と呼ばれるところで務めたことがあるが、上で言ったような教育への熱い情熱だけでは精神的に追い詰めらる。

「まじめに取り組まない生徒には、どのくらい対応すべきか」と検索してきた先生の毎日を想像する。自分の担当している生徒が少しでもいい方向に向かって行けるよう何度も指導をする。いろいろ言い方を変えてみたり、先輩の先生に相談もしてみる。学校にいるときは当然のこと、家に帰ってご飯を食べている時だって、お風呂に入っている時だってそのことが頭から離れない。生徒と向き合っている夢を見ることなんてしょっちゅうだ。そんな人に対して頑張って対応していくしかないではなにも変わらない。

 

まじめに取り組まない生徒がいた時のデメリット

 もちろん一番の不利益を受けるのは、そのまじめに取り組まない生徒自身だ。努力する訓練や、まじめに取り組む習慣は社会で生きていくうえで非常に有用なものだ。学校での活動をまじめに取り組まないということはそれらを習得するチャンスを自ら放棄しているようなものだ。

 

また、周りの真面目にやっている生徒にとっても、不真面目な生徒がいることはデメリットである。あんなふうにしていたら良くないと頭でわかっていても、いざ隣でサボられたりするとまじめに取り組むことに集中できなくなる。あいつもサボっているからとどうしても流されてしまう。

 そんな周りに流されるような生徒はダメだと簡単に切り捨てることはできない。子供にかぎらず、流されるような人でも頑張る習慣をある程度継続し、習慣として定着することによって流されることへの抵抗力がついてくるという面があるからだ。

そう考えないと、流されるような性質を持っている人間は何をやってもダメ。というふうになってしまう。それは成長というものを否定することになる。

 

もちろん、先生の体力が過剰に一つのことに費やされてしまう。ということもデメリットの一つだ。一つのことにかたよることで他都のバランスが崩れ、間接的に生徒にデメリットが生まれてしまう。 

 

 

どのくらい(直接的に)対応すべきか?

 「どのくらい対応すべきか」って言い方ではいろいろ誤解を生むかもしれないが、ある生徒をいい状態に持っていく方法は直接的な方法だけが有効なのではなく、むしろその生徒直接ぶつかり合うだけでなく、その子の周りの生徒や、家族、環境から間接的に対応する方法を探すことでうまくいく場合のほうが多い。

 

必死で目の前の生徒の行動だけ起こっていてもしょうがない。その行動を起こしている心の内はどうなっているのか。 誰かを執拗にいじめるのは、その子が気に入らないのではなく、親が優しさを許さないようなそんな家庭に育ったためではないか。などいろいろあり得る。

 

 

ただ確かにそこら辺まで行くと、先生が関わっていけるレベルを超えている。

ただ生徒と一緒にいるだけでも、毎日苦しいだけの指導が続いてもそれは生徒のためになっている。完全に問題が解決することは殆ど無く、ある程度ましになった。でもそれは成果だ。

 

 

で、結局 「まじめに取り組まない生徒には、どのくらい対応すべきか?」

先生も一緒で結局この質問をしながら、ほんとうに言いたいのは明日学校に行きたくない。指導なんてしたくない。生徒の顔を見たくないってことだと思う。

 

間接的な方法などいろいろ行ったけど、どストレートなセンセーからの回答は

 

帰ったら美味しいものを食べろ! 楽しいことをしろ! 面白いテレビを見ろ!

明日のことは忘れろ! そして明日が来ちゃったら、なんとか1日やり過ごせ!!